• 概要

    現在では、大学からのスピンアウト・スピンオフによる研究への特許の動きの世界的な動きの象徴的場所であるシリコンバレーにおいても、戦前から戦後のしばらくは、大学内の研究からパテントを取得することはそれほど積極的になされていませんでした。その背景には冷戦下において、国防省の巨額な研究予算が大学に投入されていたことがあります。大学研究の商業化はほとんど考慮されることがなかったのです。
  • ティモシー・ルノアー

    戦後のアメリカの大学における科学研究を支えたのは、豊富な政府予算でした。とりわけ国防省を中心とした膨大な金額の予算が大学での先端科学研究に注入されたのです。大学での研究はまた国民の知識を増加するという公共的な使命を持つと言う意味で、公共的なお金(税金)が研究資金として投入されていたのです。そのような公共的な使命を持って生まれてきたものに、私的な独占の制度である特許がはたして許されるのか、というのがこうした大学研究のパテント化への強い反対の根拠でした。